第一章
カフカは1911年の夏にマックス・ブロートとミラノ、パリに旅行した際、売春街を訪れている。だからという訳でもないのだが、スコさんと私もニューヨークで寿司を食べた後(もちろん全額私が払った)、韓国マッサージへ行くことになった。その店はWall St.とCanalの交差点近く、雑居ビルの二階にあった。
店の間口はかなり狭いものだった。私はなぜか「奥行きはかなりあるはずだ」という確信めいたものを感じた。私が受付の店員(何と露骨なハングル訛りであったろうか)とやりとりをしている間、スコさんは「ここはやっぱ私持ちですかね」と執拗なまでに繰り返し聞いてきた。私は「チップは俺が払うからさ」と思ってもみないことを口走ってしまった。
スコさんは店員の案内を待つことなく少し上向きに傾斜した廊下を歩いていってしまったかなり狭いものだった。私はなぜか「奥行きはかなりあるはずだ」という確信めいたものを感じた。私が受付の店員(何と露骨なハングル訛りであったろうか)とやりとりをしている間、スコさんは「ここはやっぱ私持ちですかね」と執拗なまでに繰り返し聞いてきた。私は「チップは俺が払うかさ」と思ってもみないことを口走ってしまった。スコさんは店員の案内を待つことなく少し上向きに傾斜した廊下を歩いていってしまった。
「スコさん!」呼び戻そうと私は叫んだ。3歳も若いこの男をどうして私は「さん付け」で呼んでいるのだろう。インターネットで知り合った人間には「さん付け」する決まりでもあるというのか。「おくいくん」が「くん付け」なのは、10歳以上離れた相手に対しては「くん」でも良いのだろうか。ならば、ミスタは?と考えながら、受付の方を振り向くと、そこには私の叔父が座っていた。もちろんそれは私の叔父にそっくりの、韓国人マッサージ嬢だったのだが、もっと驚くべきことは、それがどうして驚くべきことなのかはっきりとは判らなかったのだが、彼女の薄緑色の下着のひざの上に猫が寝ていたことだった。茶色にグレーのシマの入った、あまり生き物らしさのしない大きな太った猫だった。「保坂和志は猫一匹殺せねえからなあ」数日前にある人から聞いた言葉を私は思い出していた。風俗店であれば奥行きが深いのが道理だ。
「スコくん!」ためしに「くん付け」で呼んでみた。はずかしい。ここが外国でよかったと私は思った。深い奥行きを進みながら「トルコ風呂」が違法であるならば「韓国マッサージ」も同類ではないか、「フィリピンパブ」もだめだ、「台湾式足つぼ」はいいかと考えていた。
猫は受け付けのカウンターの上にスルりと跳び乗った。視線があった。彼(まてよ、彼女だったかも知れない)の両眼は少し濁った黄色、そう、茹で過ぎてしまったゆで卵の黄身の色をしていた。瞳孔をかなり絞り込んでいる。私には猫好きの知り合いが大勢いて(十人以上いればそう言って差し支えない)いろいろと話を聞いたり写真も見たりしていたが、今まで猫を余り観察したことがないことに気が付いた。私の叔父、いや、韓国マッサージ嬢は猫に促されるように立ち上がった。そうじゃない、「私の叔父」が立ち上がろうとしたので猫が跳び乗ったというのが真相なのだろう。「いそけんさ〜ん」と大声を張り上げながらスコさんが薄暗い廊下の奥から戻ってきた。
「ドアがたくさんありましたよ。思ったより奥行きがあります。何かいい感じになってきましたね。ハハハッ」。誰でもまず奥行きが気になるものなのだろうか。韓国マッサージ嬢は受付嬢特有の満面の作り笑いをしながら廊下の奥の方を指さした。
今日は、くまの出産予定日だったよな。さっきも寿司屋でスコさんが話題にして「かんぱ〜いっ」ってビールを一人で飲んで盛り上がっていた。出産とマッサージ。関係があるに違いないが、今ここで似非フロイト的分析を行うことに何の意味があろうか。
海馬。ブルースなのかブルーズなのか、ロバート・ジョンスンなのかロバート・ジョンソンなのか、わからない。はっきりしてなくていいということなのだろう。
彼はラジオなどから聴いた曲のフレーズをすぐ弾けたと興奮気味に言う女に男は、それは病気だ。山下清もそうだ。海馬の影響だと言った。女が描いたロバート・ジョンソンと山下清は、殺風景な一本道を一方はギターを一方はおにぎりを手に歩いてくるところだった。ロバート・ジョンソンは白内障で片目が見えなかったらしい。写真の彼は左右の目の大きさが異なり、モヤがかかったような瞳をしている。白目がゼリー状だという友人が気になった。
諦めたような気持ちになりながら、女に腕を引かれて、男は薄暗い廊下を歩いて行った。寄り掛かるような、ほとんど引きずられるような歩き方だったが、すぐ後ろから濁ったゼリー状の目の猫がついて来ていたので、そこでうずくまって座り込んでしまうわけにも行かなかった。すでに語り手の人称が「私」から「男」に変わっているが、そういう細かいことを気にしているようでは小説家にはなれない。一人称か三人称かの問題は大した問題ではないとしても、アメリカに7年も住んでいる語り手が、韓国マッサージが違法かどうかを自問するくだり、あそこだけは完全に失敗だ。アメリカでは一切の売春が違法行為なのだ!ネバダ州は除く。アメリカに7年も住んでいる中年の男がそんな基本的なことを知らないはずがない。あのくだりは物語のずっと後半部分にまで影響するキズとなるだろう。ロバート・ジョンソンと山下清の絵をまだ手に持っているその女は、ケリーという名前だった。個室に入るとき、自己紹介したのだ。
猫のいる風俗、というのが本当の話、存在するものだろうか。スコさんは一体どこへ行ったのだろう。いつのまに6728は紛れ込んだのだろう。首輪にそう刻まれていたのでゼリー状の猫のことを便宜上そう呼ぶことにした。それにしてもアメリカに7年とは。小学校を卒業してあまりある年月だ。小学生にとっての6年と中年になってからの6年とは。男に時間の流れる。そもそも自分は日本人なのだからたまに日本的思想が紛れ込んでしまうのはいたしかたないことだとケリーという女が仰ぐけばけばしい扇子に合わせて動く6728のしっぽを見ていた。「ああ胸が痛い」ケリーは呟いた。
ゼリー状の猫ではなくゼリー状の目の猫だ。ケリーの扇に仰がれて石けんくさい香りが漂っていた。ひと仕事終えたのか、たんにひと風呂浴びたのかはわからない。最近つきあいだした年下の男が入院してしまい、たまにモロー反応のような動きをするが昼のあらかた眠っており恐らく点滴ハイにもなっている。夕方すぎに嘆き悲しみだすので求められるまま与えるのだが夜になると仕事に戻らなければならないので別の女をあてがうのだが違いがわかっているかはわからないとケリーはだらだらと言った。会話がとぎれてもなんなので相手の名はとやぶからぼうに尋ねると「tomopment」だと答えた。
ようやくスコ太郎はロッカールームからバスローブに着替えて、というか着替えさせられて出てきた。連れの男の方はいかにも手馴れたようにさっさと着替えて出て行ってしまっていた。それにしても猫の紛れ込み方といい、名付け方といい天才的ではないか!6728のしっぽの妙な動きを目で追いながらスコさんは小説を読んでいるときのようなリアリティを感じて興奮し始めていた。「いそけんさんを個室に案内していった韓国マッサージ嬢がケリーだろうか。」男は、韓国マッサージに来るといつも指名すると言っていた。男が韓国マッサージに病みつきになったのもケリーが原因なのだ。ケリーであれば誰でもよかった。ケリーという名の女がいなければ店はパスすることにしていた。今日のケリーは、一言で表現すると、そう「巨乳」だった。
連れがいるので今日はケリーに拘るつまりはなかった。今日は巨乳であれば構わなかった。ケリーとの偶然の邂逅に男は運命というものを感じていた。Tomopmentという固形状の名を付けられたことも年下の男の運命というものだろう。しかし、名前が人の運命を左右するという思想もある。アメリカでは?ケリーに尋ねようとしたときドアがノックされ受付の叔父さんマッサージ嬢が顔を覗かて「お前、平沼だろ。」と言って男にポストカードを突出してきた。見ると年賀状だった。お年玉当選番号が印字されていたので日本の官製はがきだろう。12月末のニューヨークに年賀状?男が戸惑っているのを見ると受付マッサージ嬢は年賀状を取り上げてしまった。男を尻目に、短い協議の結果二人はもう一人の方の日本人客に来たものだと結論付けた。しかし、スコさんは平沼という名前ではない。
男はひとり個室に取り残された。ケリーまでついて行く必要はなかっただろうに。ハガキをスコさんに届けたところで結果は目に見えている。それにしても静かだ。今夜の客は日本人客2人だけなのだろうか。この時間帯しかもこの時期、ニューヨークの韓国マッサージ店は繁盛していなければならない。いつも書き込んでいた「同志」たちはどうしてしまったんだろう。暫く書き込まれていないネット上の掲示板の物寂しさを男は感じていた。入院してしまったのか。単に出張中なのか。さすがにもうバカらしくなったのか。白目がゼリー状になったのか。寂しさを感じているのは、今こうして書き込んでいる「私」の気持ちに過ぎないのではないか。そんなこと知ったこっちゃない。そうだ。ニューヨークに来たのは、出張のためではなく紛れもない家族旅行であったことを男は思い出した。明日は自然誌博物館と「美女と野獣」を見に行くのだ。男はロッカールームへと急いだ。そして、自分の服が消え失せているを発見した。
第二章
奇妙なことに、男には服が消えたことなど、大した問題とは思えなかった。家族サービスなども、いまやどうでも良かった。それよりもあの年賀状が気になって仕方がなかった。あれは良くない徴候だった。しかも、ケリーは「胸が痛い」と言った。猫の6728は下二桁が28だ。これは28日生まれを意味する。しかも28は14の倍数だ。これらはすべて、いっさいが掲示板からの引用に過ぎなかった。
しかし、こんなことでどうする!小説が現実の縮図、内輪受けであってはならないのだ。現実を上回る強度が必要だ!強度さえあれば意味など要らない、とあの人に言われたばかりではなかったのか。
こんなことだから若い人たちはこの掲示板にも立ち寄らなくなってしまうのだ。三十半ばも過ぎた良い大人がこんなことを延々と続けているのを若者たちは笑っているに違いない。だがよくよく考えてみると年取ることに対する後ろめたさがあるのからなのか、若者の言うことであれば盲目的に信じ込んでしまうようなところが男にはあった。すでにこの「盲目的」という言葉ですら、ある若者がつい最近口にした言葉を使っているのだ。男はまだ全裸のままだった。
チップは俺もちだったよな。男は服とともに財布も消え失せていることに思い至ると、入店するときに安請け合いしてしまったことをひどく後悔した。壁には「お心付け大歓迎!感謝!」といろいろな国の言葉で書かれていた。アラブ語なんて知る由もなかったが単語レベルまで詳しく手に取るように分かった。その下にはYOGA実践講座のでっかいポスターが貼り付けられていた。本格的な印象。詐欺臭さが全くない。メモるものがないので講座の行われる日時・場所を必死で暗記しようと努めたが、なかなか集中することが出来なかった。
仕方がないので、ヨーガの姿勢をポスターの写真どおりにとることにした。どうすれば腕と足をあのように交差させることが可能なのか。いろいろ試してみても上手くいかない。バランスが崩れてしまうのだ。汗まみれになりながら男は次第に焦りを感じ始めていた。その時、ロッカーの中から耳馴れた携帯電話の着信音が聞こえてきた。「星に願いを」。男の携帯のメロディだった。男は携帯電話の位置を確かめるためにロッカーに左耳を押しつけた。運動した直後の冷たい金属の感触が堪らなく気持ちがよかった。男に割り当てられたのとは別のロッカーの中で鳴っている。この選曲は日本人以外にあり得ないが、スコさんは携帯を持っていなかったはずだ。ロッカーのドアはあっさりと開いた。
「Hello? Hello?もしもし?もしもし?」
男は自分の携帯かどうか確信できぬまま電話にでた。耳をそばだてて聞き入ってみると呻いているような声が聞こえてきた。どうやらアゴが外れて口が開いたままであるのでキチンと発音することが出来ないことを釈明しているらしかった。
「北緯40度12分28秒、西経75度02分28秒。そこに空き地がある。実際には14ヤードから28ヤードの誤差があるが。それについては四の五の言わず了解してもらいたい。これが目下、我々の文明の限界なんだ。」
(40度−32)×2/3 と華氏から摂氏への気温の変換式が条件反射的に男の脳裏に浮かんだが、今は天気予報を見ている訳ではないのだ。溜まった唾が開きっぱなしの口から漏れてしまう限界に達してしまったのか、電話はきられた。
ところが、またしても、 男は携帯電話にも、ヨガのポスターにも興味を失ってしまい、いろいろ新しい展開へ持って行こうとする意図に抗うように元へ戻ってしまう自分を申し訳ないと思いつつ、男はケリーのいた個室へ走って帰った。男はそもそも発情していたからこの個室マッサージへ来ることにしたのだ。少なくともヨガのポスターがレオタードの女性がポーズを取っていたのであれば、それによって忘れかけていた欲情が再び呼び戻された、ということは言えるのかも知れない。
個室のドアを開け、ダイアル式の電気を最大まで明るくしてみた。天井にはマッサージのときに韓国女が上からぶら下がるための棒が渡してあり、壁は正面が鏡、両側はピンクと黄色の幾何学的な模様の、センスの悪い壁紙が張ってある。奥の小さな鏡台の上には、化粧品やローション、手紙の束、ティッシュの箱、灰皿、ハローキティの目覚まし時計などが置いてあって、その鏡台にくっ付けてベッドがある。シーツの代わりに敷かれた薄いブルーのバスタオルの上には例の猫が寝ていた。しかし、よくよく見てみるとそれは猫ではなく、猫柄(ねこがら)、というよりふつうなら豹柄(ひょうがら)というのだろうベビー服を着た赤ん坊なのだった。赤ん坊をいままで猫と見間違えていたのか。しかし男は以前、少年の肩に乗っていた小さな猿が、よく見てみると老人だった、というインド人の書いた小説を読んだことがあった。それに比べれば、猫がじつは赤ん坊だった、の方が大きさ的にもまだ許されるような気がする。
それにしても、赤ん坊と売春、この社会的な通念ではまったく対極に位置するようなふたつのものの間には、じつは似たところがあるのではないか、男は常々そう考えていた。それはもちろん性行為という断面ではなく、それらから与えられたものによって自らの内に起こる感情において、両者は似たものでありうるのだ。
だらだらなどしていられない。事態は刻々と変化していくのだ。ついさっきも太陽系以外の惑星系が発見されたばかりだし、明日にでもわが祖国ではカップラーメンの新製品の名が堂々と発表されるかもしれない。そしてテキストは当てもなく書き連ねられ、何事もなかったかのように流れていく。
そんなことより、目の前には、こうして赤ん坊が横たわっているではないか。男は、いつものように自らの内面を喚起させる赤ん坊と売春の類似性に思いを巡らせていたが、ケリーとこうして眠っている赤ん坊に対する働きかけ方が似たものでありえない現実に直面し困惑した。赤ん坊は、このような場合、通常は男の困惑を察するかのように泣き始めるものだが、果たして泣き始めた。「?!」 なんだ、やっぱり猫じゃないか。人間はこのような泣き方はしない。男は自らの子育ての経験を反芻しながら正面の鏡を見た。鏡に映っているのもやはり豹柄の猫のように見えた。しかし、本当にそうだろうか。男は、決定不可能性の罠に陥れられたかのように感じた。早くケリーと一緒に確かめたかったが、彼女が例の年賀状の件から戻ってくる気配は感じられなかった。赤ん坊に見えたときは赤ん坊として、猫に見えたときは猫として接するしかない。男は、当面の対応方針を決め、体全体にローションを塗り始めた。
そろそろ年賀状について語りたいものだ。「豹柄のベビー服を来た赤ん坊」から「豹柄の猫」になったいきさつも釈明したい。漫画家は危険だ。中尊寺ゆつこは死んだ。岡崎京子は生きている。42といえばかつてとんでもない若者だったころ40代で死んでいるはずだった。ニャァニャァ泣いている物体のわきでふんふん言っているのはケリーの鼻歌でここでもまた「星に願いを」だ。ローションをつけすぎてローションを塗りたくる範囲がどんどん広がっていった。
どうやら夜スイッチする女とtomopmentはできているようだ。朝方病院へかけつけると揺れながら抱き合うふたりの間のアイコンタクトはただならぬもので女の手はtomopmentの尻を軽快なリズムでタッチし続けていたと言うケリーは別に腹をたてているふうでもなく棒にぶらさがりながらだらだらとしゃべった。
「私に足りないのは非情さだ」
シルクだかサテンだかの布地からのぞく脚をぶらぶらさせながらケリーは言った。林檎と名の付くタイトルのドラマを書いた作家の、入院中の老女に恋したがその女がどんどん若くなって男と女の関係がついに見た目には男と子供になってしまう話があった。
「あなたもぶら下がってみたら」
男はキョトンとした様子で佇んでいたが、そう言われて、ようやくケリーが戻って来ていることに気が付いた。促されるままぶら下がってみた。手がヌルヌルしていて棒から滑り落ちてしまいそうだ。過度に塗ったくったローションが、だらだらとではあるが精確に時を刻むかのように全身からベットに滴り落ちていった。
「ずぅーっとこのままこうしていたい」
自ら新しい展開に持っていこうとする気力はなくなってしまったみたいだ。ケリーのボーイフレンドはまるで子供だな。母性本能のくすぐり方などとうに忘れてしまっていた男は、話を聞いているうちにtomopmentに会いたくなった。しかし、豹柄の猫だか豹柄のベビー服を着た赤ん坊はどこに行ってしまったんだろうか。
軽快に手を取り合い、脚を絡め合い、位置を替わったりしたのはケリーの動きとローションのヌルヌルに導かれてだったがこんなことをしていてはだめだ。売春と赤ん坊もやっぱり似ていない。病院では涙を見せると医師に深読みをされ思いもよらぬ展開に持っていかれそうになる。
「彼は画家志望なのよ」
ケリーはtomopmentの話を再び始めた。
「ほとんどは何を描いているのか分からないものばかり。でも一枚だけ大好きな絵があるの。私を描いた絵。きっとそうだわ。彼には確かめなかったけれど。だから彼には才能があると思うの」
Picasso, Matisse, Cezanne, .........男は何時間か前にMoMAで見てきた画家たちの名を思い浮かべた。tomopmentか。少なくとも名前は遜色ないぞと思ったが、ケリーには言わなかった。自分の絵だと確信しているケリーだったらあの豹柄の物体も何なのかハッキリと見えていたに違いない。男は床下の通風孔から聞こえてくる深夜のニューヨーク特有の喧噪に耳を傾けた。来年の春には7年振りに日本に戻ることになりそうだ。こうしてニューヨークへの出張の度にちょくちょくと韓国マッサージに来られなくなる。東京にもあるにはあるだろうがケリーという名のマッサージ嬢がいてくれるだろうか。
空中ぶらんこ乗りではないかという曲芸の域に達していた私たちだが、携帯電話が鳴り不自由だが柔らかいうねりでなんとかひねりだすと
「豹柄の猫だか豹柄のベビー服を着た赤ん坊が目の前いて言うんだけどさぁ」
とスコさんからだった。
あまり歓迎されないタイミングの電話だった。こういう時の応対はぶっきらぼうになりがちだ。文章も義務感に促されて書いていては上手くいきっこない。苦し紛れの時間稼ぎにしか見られないだろう。ある種の使命感が必要なのだ。スコさんからこうして予想外の電話がくるのは初めてのことだった。それも男が先程から気になって仕方がない例の豹柄の物体について話しているらしいではないか。何か新しい展開が待ち受けているかも知れない。
第三章
棒につかまってふたりで空中にいるというもののケリーはまだ仕事をしていなかったし男は接客されていなかった。泣いているのを放っておくことができない。かといって事態をおさめられるわけでもない。ほらまた泣いている。ケリーは言ったが男にはそらみみが聴こえるだけだった。
だが、それは空耳ではなく、携帯から聞こえてくるスコさんの話し声だった。 じっさい目の前にいて動いているのが見えるにもかかわらず体温の低いヘビのように棒に絡まっているばかりで何やってるのだか判らないケリーに対して急速に興味と性欲を失って、男はここで初めてスコ太郎の話を真剣に聞いてみる気になった。寿司屋からいまこの段に至るまで、男はスコ太郎の話を少しも聞いてはいなかった、聞いてはいたかも知れないが憶えようとして聞こうとしていなかったことを深く反省しながら、携帯から聞こえてくるスコ太郎の声に耳を傾けた。
スコ太郎の秘密
「……豹柄の物体だって別に気にしないで済ませられればそれが一番なんでしょうけど、そういうわけには行かないんですよ。ぜったいに行きません。いそけんさんは私をここに連れて来たつもりでいるんでしょうけど、そんなありふれた、単純な話ではないんです。私がアメリカに着いた一年半前から、結局いつかまたここでもあの豹柄に捕まってしまうんじゃないか、夜も昼もそればかり考えて来たと言ったって言いすぎではないぐらい、それぐらい私を悩ましてきたものなんですよ、豹柄は。そいつににとうとう今日ここで出会ってしまった。もう逃れられない。でもここへは私が自ら来たとも言えるんです。会社の留学制度に受かってアメリカの大学に通ってる、、、なんてみんなには説明してますが、あれもぜんぶ嘘っぱちです。運転免許証どころかパスポートだって持ってないぐらいなんです。
ついでに言えば、酔ってコーネルの丘から滑り落ちて、手足、顔面骨折で喋れず、まるまる二ヶ月間流動食しか食べられなかったというあの事件、あの事件だって本当のことを言うと作り話なんです。Kinuさんはともかく、保坂さんからまで暖かい励ましのメールを貰って、それはもちろん後ろめたい気持ちがありましたが、私だってしたくてそんな演技、もごもごしか喋れない演技ですが、してたわけじゃないんですよ。私だってそこまで根っからの悪人ということはありません。でも、間違えてはいけないのは、それほどの善人ということでもないんです。ほら、いそけんさんはよく、「スコさんはいい人ぶった発言ばかりして、、、もっと素の自分をだせよ!」みたいなことをだるてん掲示板に書くじゃないですか。でも私が本当に「素の自分」をだしたりしたら、この和気藹々としただるてんメンバーの間に耐え難い軋轢と罵声が起こって、半日で掲示板は閉鎖してしまいますよ。もちろんこれも冗談ですけどね。でも丸っきりの冗談ということでもありません。さっきからこういう論法の繰り返しで中原昌也みたいですが、私としてはドストエフスキーと、そしてももちろんカフカを狙ってるつもりです。とにかくスコ太郎は根っからの悪人でもないが、それほどの善人ではない、ということをよく憶えておいて下さい。4年前、私は池袋に一人で住んでいました。池袋北口から歩いて14、15分の、玄関と台所を兼ねた板の間と、六畳一間の、しけた風呂なしアパートです。それでもびっくりしたことに当時の私の給料の半分は家賃に持って行かれたんですよ。いつか大家か会社のどっちかを訴えてやろうかと思ってましたけどね。ずっと後になって弁護士という人種とはまったく別のところで接点を持ってしまいましたが。
私はまだ30まえでした。まだ若かったんですよ。性欲があり余っていました。以前だるてんでも話題にのぼったことがあると記憶しますけど、いそけんさんも合コンってやったことないんでしたっけ?それはまずいですね。酒が弱いことと合コンをやったことがないことは、いそけんさんの人生を大きく損なわせたかもしれないですよ。いや、こんなことを言ってすみません。私は自慢じゃありませんが、十代後半から今に至るまで、二千回ぐらいの合コンを経験してますね。二千回ぐらいなんて、恥ずかしいのでちょっとぼかしましたが、正確に言うと1,864回です。千九百回ぐらいと言うべきでしたか。ノートに付けてるから正確に回数を把握してるんです。一緒に行った男側のメンバー、相手側の女性の学校や会社、美人度、場所、時間、食事の内容なども記入してます。食事の内容ったって、ビールと枝豆以下、毎回たいてい変わりないですが。でも性欲があり余っていたから、無数の合コンをこなした、なんて話をすると毎回女性との交渉があったように思うでしょうが、じつは私にとって合コンは単に合コンでしかなく、その後で合コン漬けの疲れを癒すために、池袋北口のポルノ映画館に行くことが私にとっての至福の時間だったんです。いや、まわりくどい話をしてしまってすみませんでした。このポルノ映画館が、私が豹柄の物体と初めて会った場所なんですよ。
ポルノ映画館。正確にはピンク映画館。そうそう、石川さんが館長やってるやつですが。。。知ってますよ、バイトしてるだけでしょ。あそこは池袋にいるとは思えないほど静寂につつまれたいいところですよ。世間で痛めつけられ乱れた心を鎮めるためにはもってこいの場所です。私は、人生の節目節目を迎えると必ず訪れていましたね。いい話でしょ。やっぱたまに本当のことを喋ると晴れやかな気分になりますね。聞いている人も素直に感動してくれるみたいだし。そうそう、忘れてましたが、いそけんさんのいる個室にも持ってこられたでしょう。年賀状ですよ。あれには驚きましたね。何と差出人が私の名前になっていたんですよ。身に覚えがないんですが、出されてしまったものは仕方がありません。ここで郵送を遮断してしまったら韓国マッサージ店の評判が下がるおそれがありますからね。でも、平沼さんという方には心当たりはないんですけどね。こういうことが起こるのがニューヨークなんですかね。なんの話でしたっけ?そうそう弁護士ね。この弁護士というのもほんと悪趣味な奴でして、若い頃は、死刑になるかならないかという被告人ばかりを顧客として選んでいたそうです。刑事事件は証拠集めに足を使うから年食ったらやってられなくなって離婚専門にしたと言ってました。てことはですよ、離婚裁判には証拠なんていらないってことになります。あることないこと何でもいいから想像力を逞しくして色んなエピソードを如何にリアルにデッチあげて裁判官を説得するかということであります。まがりなりにもドストエフスキーやカフカの小説を読んでいてよかったですよ。こんなこと言うといそけんさんに怒られそうですが。家庭裁判所でカフカの小説の持つリアリティの力を実感できました。スゴいぞと。まあ、これも半分は冗談ですけどね。知り合いからよく言われるんです。スコさんの話は90%作り話だからって。そういう時は、えっそうですか。99%だと思うんですけどって言ってやりますよ。でも、考えてみたら私に限らず、けっこう皆嘘ついてますよね。
あれ?いそけんさんに言おうとしていたことがあったんだけど。そうそう、豹柄の物体のことでした。いよいよ本題に入れるというものです。ポルノいやピンク映画館で発見したときは何なんだと吃驚しましたが、よく言うじゃないですか、女豹のポーズって。丁度、スクリーン上も色気たっぷりの女豹のシーンだったんでその時は妙に納得してしまったんですよ。その後も牛丼屋とか病院とかで見かけました。いやいや、女豹のポーズのことじゃなくて豹柄の物体のことですよ。病院で女豹のポーズはあり得るかもしれませんが、牛丼屋ではないんじゃないでしょうか。いや待てよ、そうとも言い切れませんね。ノーパンしゃぶしゃぶが世間の耳目を大いに集めた頃、ノーパン牛丼ていうのもどさくさに紛れて開店されましたからね。やっぱ、ありか。失礼しました。そんでもって豹柄ですが、一体何だろうって深刻に考え始めてしまったんです。でも、一体何なんだ?!ってものは世の中に溢れかえってますよね。例えばミッキーマウスです。こいつも何十年に渉って私を悩ませ続けていたんです。で、まずはこの問題に決着をつけようと思い会いに行ったんです。そうです。ディズニーワールドです。フロリダです。しかし、面食らいましたね。どこもかしこも家族連れかカップルばかりでしょう。クリスマス休暇中でしたしね。そんなところを中年の痩せこけた東洋人の男がたった一人でうろついていたら、こいつは一体何なんだって怪しまれますよね。だから極力笑顔を絶やさないように努めました。笑顔、これがアメリカで最も要求されるものであることはいそけんも同意してくれるものと思います。売店でホットドッグや飲み物を買うときも「2つ下さい」と言わざるを得ませんでした。しかしふざけているじゃありませんか。売っていたのは「ニューヨークスタイルホットドッグ」ですよ。ニューヨーク州からはるばるフロリダまでやって来たのにこのあり様です。まさかフロリダでお目にかかれるとは思ってもみませんでしたよ。
スコ太郎がスコ太郎の、語り口で喋らせると上滑りしますね。いや、すみません。ほんとうは村長とかアマーリアの感じで行くつもりだったんですよ。これじゃスコ太郎そのまんまですもんね。でも人生の節目節目で池袋のピンク映画館で寝ていたというのは、あそこんとこだけは嘘じゃありません。真剣に言ってるんです。そこは間違えて貰っちゃ困ります。東京23区内であんなに素晴らしい場所はありません。だから石川さんがあの映画館で働いているといそけんさんから聞いたときの私の驚きようといったら、目の前のいそけんさんを殴り倒しかねない勢いだったでしょう?いやいや、すみません。弁護士の話じゃなくて、ディズニーランドの話じゃなくって、ホットドッグの話じゃなくって、豹柄の話でしたよね。戻しましょう。
豹柄との出会い
「その日、私は夜の11時過ぎまで会社で残業してから、池袋のアパートに帰ったんですが、帰るなり妻と大喧嘩をしたんです。言ってませんでしたが、六畳一間のアパートに私は妻と二人で住んでいたわけです。そんな狭いところに二人で住んでいれば、お互いいらいらして喧嘩もしょっちゅうでしたが、逆にいうとお互いいらいらしているから喧嘩するだけで、具体的に特定できるような、深刻な問題を抱えていたということでもないんです。大喧嘩が始まる理由というのはたいてい「些細な、取るに足らない理由」という決まりになってますが、このときも確かに取るに足らないようなことが発端だったような気がします。ほんとうは憶えてないだけなんですが、意識的に忘れようとして忘れたのかもしれません。無言でドアをたたき締めて、外へ飛び出した私は「一緒に暮らしている人間よりも、まだじっさいに会ったこともないインターネットの掲示板で知り合った人との方が判りあえるような気がしてしまうことが不思議だ。ネット心中する人の気持ちも判らないでもない」と考えながら、池袋の繁華街の方角へサンダル履きのまま早足で歩いていったことを憶えています。真冬だったんで寒かったですけどね。イサカほどじゃありませんからね。
「ちょっと、待て!」 ここまで、ずっと聞き役に回っていた男は叫んだ。携帯に向かって叫んだのだ。
「大学に行ってるというのは嘘だって、さっき言ったばっかりじゃないか!それにあなたは池袋のアパートには一人で住んでいたと最初言い、妻と二人で住んでいたと今度は言う。別に年上だからとか、寿司をおごったから言うわけではないが、あなたの話は相手を不愉快にさせるよ。過度の冗談は人間関係を潤滑にする役目を果たさなくなるということも、いいかげんあなたの年齢であれば、学ぶべきだ」叫んでしまった自分の気持ちを静めようとしながら、男はスコ太郎にもう一度話しかけた。
「いそけんさんが不愉快に思ったのであれば、それはお詫びします。これが私のいけない癖です。それはまったくその通りです。でもいそけんさんの方も、そういう正論というか、開き直りというかはやめた方が良いと思いますよ。あなたのために言っておきます。これは私のなけなしの忠告です。なけなし、という言葉はベケットから学んだんですよ、私は。それはともかく、豹柄の話をさせて下さい。最初に言った通り、これはもはやいそけんさんにとっても他人事では済まなくなっているんです。もしかしたらあの豹柄のおかげで、いそけんさんも、私も、この韓国マッサージ屋から出ることが出来なくなる可能性だってあるんです。いや正直に言えば、私はもう七割がたダメだと思ってさえいるんです。あんなに小さい物体ですが、豹柄を甘くみてはいけないんです。夜中に家を飛び出した私が向かったのは、もちろんあのピンク映画館ですが、オールナイトですからまだ開いてました。池袋北口の風俗店の客引きが何度か私を引きとめようとしましたが、無言でスタスタ歩いたのでそれほどしつこくは絡んで来ませんでした。裸足にサンダル履きだったからかも知れません。
ことによると、ピンク映画館が北口にあったことが全ての始まりだったのかも知れません。これが西口だったら客引きの反応は全然違ったものになっていたでしょう。サラリーマン風の男性が卵のパックが入っている買い物袋を持っているにもかかわらず、しつこく客引きに絡まれているのを目撃したことがあるんです。西口で。そのビニール製の買い物袋からは長葱もはみ出していたんですよ。あと北口で見逃していけないことは、ピンク映画館の斜向かいに掲げられた映画の看板、これは別の映画館の看板ですけどその下から小さい地下道が東口の側まで通じているということです。ポッカリと。山手線が「結界」になっていることはその筋の人なら有名な話ですが、映画館はまさに結界が決壊した場所に位置しているんです。別にダジャレを言いたかった訳ではないんです。何か非常に些末な事にこだわっているように感じているかもしれませんが、こと豹柄に関しては些末な事の積み重ねが大事なんです。「すべて偉大なものは些末である」という言葉をいそけんもご存じだと思いますが。」
「だからさあ、そういうのが人を不愉快にさせるんだと今言ったばかりじゃないか。」男は苛立ちを抑えることができずにスコ太郎を遮った。「すべて偉大なものは単純である」これは、男がeメールに必ず添えていた箴言であっただけに見逃すわけにいかなかったのだ。「そうかもしれません。そうなんでしょう。でも、悪い癖ってそう簡単には治りませんからね。」少しの沈黙の後、少しも悪びれる素振りもなくスコさんは話を続けた。